【実話】ブラック企業で約9年間働いた話(体験談、実情、特徴)
(2020.1.25)
私はブラック企業で約9年間営業で働いた経験があるので、体験した事やどの様な状況だったのかについて書いていきます。
1.私がブラック企業で働いた約9年間
私が23才で初めて就職した会社は電子機器の商社で営業として、主にメイドインチャイナの製品を日本の家電メーカー等に安く販売していました。業態や製品に目新しさも無く、競合他社との価格競争が激しい業界でした。
最初の5年間は日本の本社で上司もいました。社内や客先から理不尽な要求も多かったですが、まだ若かったし上の先輩達もいたので何とかやれていました。夜遅くまで働いたり土日の残業もありましたが、まだ耐えられるレベルでした。
5年間務めた後は海外(シンガポール)への赴任が決まり、責任者の立場で3年間奮闘しました。20代でその様な役職になれた事は名誉に思いましたし、その点は今でも感謝しています。おかげで英語もアジアの人達と話す分には問題ない位になりました。
しかし責任がどんどん大きくなっていき、今思うと自分では背負いきれない程になっていました。本当に精神的、体力的にぎりぎりの綱渡り状態で頑張っていたと思います。この頃に転職活動を始めました。
しかし転職は中々決まらないまま、シンガポール赴任の任期が終了して、本社に戻りました。本社に戻って約半年で転職が決まり、約9年間のブラック企業での生活から抜け出しました。
ざっくりの流れですが、以上の様な感じです。
1-2.良く言われるブラック企業の特徴と比較
一般的なブラック企業のイメージと、私の体験があてはまっていたかどうかを検証。
①残業代が出ない?→△
給与の中にみなし残業が20時間ほど付いていた。残業は基本的に事前申請が必要。コンプライアンスにはやたら厳しかったので、管理部からは残業届を出せと言われるが、出したら出したでコストカットに必死な上層部から怒られる。結果、面倒なのでタイムカードを先に押してサービス残業をする日々。
②休日出勤がある→△
社歴が浅く、責任の無いうちは休日出勤はありませんでした。何年も務めて役職がついてからはありました。特に自分は仕事を抱え込んでしまう方だったので、周りが仕事を人に振ったり適当な所で切り上げていても、自分には出来ませんでした。お客に迷惑をかけるのだけは嫌だったので土日も必死でやっていました。その結果案件が増え、どんどん忙しくなってしまっていました。
③人の入れ替わり→◎
人の入れ替わりはとても激しかったです。30人弱の会社なのに、毎月のように誰かが辞めては入ってを繰り返していました。
④常に求人が掲載されている→◎
人の入れ替わりがすごいので、当然求人募集も常に行っていました。余談ですが、社内会議や上司からの折檻を録音する方や、退職後に不当な待遇を訴えたりする人も普通にいました。
1-3.身についたスキル
中小企業ならではの良さであると思うのですが、担当の裁量や責任の範囲がとても広いので、色々な経験が出来ました。全部が全部悪い事ばかりではありませんでした。
営業スキル
英語での交渉力
会社が回っていく仕組み的なものが分かった
(小さな会社に長くいて、色々な経験をしたので、会社の仕組みが分かった)
若くして部下が出来て、教える力が少しはついた、マネジメント経験が出来た
これらの経験・スキルは転職した先の会社でも確実に役に立っています。
2.辞めようと思ったきっかけ~命の危険を感じた
約9年も務めてある程度の役職にも就いた会社を辞めようと思ったきっかけになった出来事を挙げていきます。
・居眠り運転
シンガポール赴任してからの出来事。連日遅くまで働き続けて体がきつくて眠気もひどいまま、顧客訪問でマレーシアまで車を運転していきました。マレーシアの高速道路は制限速度110キロですが、周りは普通に20~30キロオーバーの速度を出しているので、自分もそれに合わせざるを得ません。そんなスピードで運転していても、疲れが極限に達していた為、一瞬居眠りをしてしまいました。
車間距離は長めに取っていたので、事なきを得ましたが、「これを続けたらいつか本当に死ぬな」とその時初めて思いました。
・仮眠のつもりが気づいたら25時
これもシンガポール赴任中の出来事。顧客訪問でマレーシアへ車で行き、夜遅くなって(22時位)、眠かったのでサービスエリアで少し仮眠してから帰ろうと思いました。ところが、気が付いたら25時を回っていました。アラーム等をセットしても、止めた後にまた爆睡してしまいます。内勤の時も同じ様な事があり、エネルギッシュにばりばり仕事を終わらせられない自分が本当に嫌になりました。
今思えば完全に狂っていたなと思います。自分がダメなのではなく、仕事の量と背負わされてる責任の大きさが異常でした。世の中を知らなかったのもありましたが、洗脳されていた様な感覚です。
・自腹を切る事が多かった
私がいた拠点が赤字を出していました。責任を問われるのは自分だったので、少しでも赤字を減らせるならと思い、ガソリン代や高速料金など、ちょっとしたもので負担できるものはなるべく自分で負担していました。これも今思えば狂っています。
極めつけは役員の退職金でした。30年以上務めた古株のローカルの役員がグレーな会計処理をしていた事を理由に退職金ゼロでクビにすると言う出来事があったのですが、私は連日その方から不当な待遇をきつく詰め寄られました。せめて退職金を出せないかと本社に交渉をしても無駄で、その時期は「なんで自分がこんな思いをしなければいけないんだろう」と思い、本当に毎日苦しかったです。
その苦しみに耐えられなくなり、「お金を出してこの心労から解放されるなら、自分で出してしまおう」と思い、結構な大金をその人の銀行口座に振り込みました。
狂っているのは分かっていても、そうするしかないと言う本当に異常な状況でした。この出来事を境に転職する考えを固めて、履歴書や職務経歴書を作り始めました。
3.転職活動の苦しみ~タクシー代が月8万とかいきました
地獄の様だった海外勤務を終え、日本の本社に戻りました。社歴が長くなればなる程勝手に役職がついて偉くなっていく、トコロテンの様な方式で私も役職がつきましたので、部下もいて責任も大きく仕事も相変わらず多かったです。そんな日々の中での転職活動だったので、やはり大変でした。その時に感じた事を書いていきます。
・転職でブラック企業での経験が強みになったのか。
自分は口下手なので面接では上手くアピール出来ず苦戦しましたが、書類選考の合格率は異常な程高かったです。一つの会社で長く勤めて役職までつくとその辺りは強みになりますね。ただし面接では「順風満帆な出世コースを歩ませてもらってる会社をどうして辞めるの?」と聞かれるので要注意です。長く勤め過ぎたのかも知れません💦
・働きながらの転職活動
仕事だけでもハードだったので、その中で転職活動もする日々は地獄の様でした。営業なので外出の合間をぬって面接に行ったりしていました。疲労が限界だったので、移動はほとんどタクシーで、マックス月8万円位タクシー代で使っていました。
※相変わらず日々の業務は忙しく、終電前位に限界が来て帰宅する感じでした。ただし電車があったとしても、体が衰弱して頭も働かないので、あえてタクシーで帰ったりしていました。もちろん会社に請求など出来ないですが、体の負担が減らせるなら、お金は二の次でした。
・転職した先で役に立っていると思う事
転職して数年経ちますが、役に立っていると思う事はスキルの面もありますが、一番大きいのは比較対象がある事です。「過去にいた会社と比べれば今の環境は十分幸せだ」と思える精神的な要素が最も大きく感じます。
ブラック企業を抜け出して、今は海外経験も活かして無理なく働けていますし、ブログも始められ、充実した毎日を送れています。
4.経験を通して思う事
ブラック企業ブラック企業と散々書いてしまいましたが、私自身の考えでは、会社が悪いとはあまり思っていません。もちろん理不尽な事もたくさんありましたが、その会社を選んだのは自分自身だからです。大人が自分で判断して選んだ事なので、会社に対してあれこれ言うよりは、気持ちを切り替えて環境を変える行動をすれば良いと思います。
ここまでで書ききれなかった辛い経験もたくさんあります。土日に車で会社まで向かっていた時の信号待ち中に、ふと何の為に生きているのか分からなくなり、泣いたりしました。土日に出勤しても疲労がピークで頭が真っ白で回らず、仕事があるのに手が動かず、結局何も出来ず発狂したりもしていました。
でもその会社を選んだのは自分であり、他の会社を選ぶ自由もあります。
なので、現在ブラック企業で激務に追われている方も、耐えきれなければ辞めればいいと思います。経験は無駄にはならないので、納得いくまでやってみて、ダメなら辞めるのは何も悪い事ではありません。
これは私が転職で苦しんだ時期に人から言われて勇気づけられた言葉です。「世の中に会社なんて腐るほどある」。
日本に企業は400万社以上あるそうです。今は会社の口コミサイトもたくさんあるので、転職先もブラックだったと言う事態は避けやすい環境だと思います。
心や身体を病んでからでは遅いので、自分を大切に、マイペースで努力と行動を積み上げていく事が大切だと思います。
この記事が誰かの、特に今苦しんでいる方々のお役に立てれば幸いです。
(2021.12.02追記)私の転職体験談を掘り下げた記事もありますので、ぜひご一読下さい。また、キャリア変革支援のおすすめサービスもご紹介しています。
おわり